ミッドナイトダーリンを追いかけて、
凹むというよりかは(どちらかというと)何時も自分が自らに問うフィロソフィー的な質問を久々に客観視してしまったからです。
そんなことを考えて何時も生きていました。
灰色の世界は自分にとってはとても愛おしくてとても嫌いでした。
それでも、自分には勇気等無く何かを変動させる力も無ければやる気もありませんでした。
それを何時も理解しているのに何か形作ることを極端に嫌う私は我侭な子供のようにも思います。
端的にですが自分の心を許した人にそんな事を話しました。
皆同じかもしれないと言われた時、自分が特別じゃないということに気付きました。
自分が特別だと思ったことはありませんが、こんなことを毎日毎日寝る間際に考え眠りにつく自分は半ば変わっているのかもと思います。
そんな事を中学の思春期から感じていました。
そのことによって考えることはあっても悲しんだり苦しんだりしたことは一度もありません。
自分が子供だということは誰からいわれるより理解していたので、大人になれば自分なりの回答が見つかるものだとずっと焦がれていました。
しかし、身体は大人のようになっている今も、何故答えが出ないのでしょうか。
いつまで此の問題に縛られ生きていくのでしょう。
苦痛じゃなくとも理論的に物事を知りたがる自分としては喉の小骨が取れない気持ちです。
一般的に病み、という言葉は好きではないのです。
ただそれが生んだ今があるなら受け入れるだけですが、それを自慢したいわけでも蔑みたいわけでもありません。しかし自分にそれが当てはまるときとても嫌悪するのです。
構って欲しいんでしょう、だからこのような事に思考を張り巡りつつ私は何時ものようにパソコン画面とにらみ合いをしているのでしょう。
一人が好きな癖に一人じゃ生きて行けない自分は本当に傲慢だと思います。
高校の頃、自分を特別の存在だという好きな人がいました。
私と比べてその人の能力は確かに特別だ、と思いました。
それが酷くうらやましく、私もその人を真似て私は特別だと思い込みました。
ある時、一人一人特別だということに気付きました。
他人を羨んでしまう私は、何時も他人の特別に憧れていました。私の特別が掠れて行くのです。
しかし他人が嫌いだと思ったことはほとんどありません。
他人の声は好きです、他人の特別も羨ましい反面、愛おしく思います。
何時まで、私は小骨の取れぬまますごしていくのでしょうか。
きっと、小骨は既に溶け私と共に過ごしているのに気付かぬまま、私は何時もどおり眠りにつくのだろうと思うと、少し怖く、少しだけ嬉しい気もします。
そんなことを考えて何時も生きていました。
灰色の世界は自分にとってはとても愛おしくてとても嫌いでした。
それでも、自分には勇気等無く何かを変動させる力も無ければやる気もありませんでした。
それを何時も理解しているのに何か形作ることを極端に嫌う私は我侭な子供のようにも思います。
端的にですが自分の心を許した人にそんな事を話しました。
皆同じかもしれないと言われた時、自分が特別じゃないということに気付きました。
自分が特別だと思ったことはありませんが、こんなことを毎日毎日寝る間際に考え眠りにつく自分は半ば変わっているのかもと思います。
そんな事を中学の思春期から感じていました。
そのことによって考えることはあっても悲しんだり苦しんだりしたことは一度もありません。
自分が子供だということは誰からいわれるより理解していたので、大人になれば自分なりの回答が見つかるものだとずっと焦がれていました。
しかし、身体は大人のようになっている今も、何故答えが出ないのでしょうか。
いつまで此の問題に縛られ生きていくのでしょう。
苦痛じゃなくとも理論的に物事を知りたがる自分としては喉の小骨が取れない気持ちです。
一般的に病み、という言葉は好きではないのです。
ただそれが生んだ今があるなら受け入れるだけですが、それを自慢したいわけでも蔑みたいわけでもありません。しかし自分にそれが当てはまるときとても嫌悪するのです。
構って欲しいんでしょう、だからこのような事に思考を張り巡りつつ私は何時ものようにパソコン画面とにらみ合いをしているのでしょう。
一人が好きな癖に一人じゃ生きて行けない自分は本当に傲慢だと思います。
高校の頃、自分を特別の存在だという好きな人がいました。
私と比べてその人の能力は確かに特別だ、と思いました。
それが酷くうらやましく、私もその人を真似て私は特別だと思い込みました。
ある時、一人一人特別だということに気付きました。
他人を羨んでしまう私は、何時も他人の特別に憧れていました。私の特別が掠れて行くのです。
しかし他人が嫌いだと思ったことはほとんどありません。
他人の声は好きです、他人の特別も羨ましい反面、愛おしく思います。
何時まで、私は小骨の取れぬまますごしていくのでしょうか。
きっと、小骨は既に溶け私と共に過ごしているのに気付かぬまま、私は何時もどおり眠りにつくのだろうと思うと、少し怖く、少しだけ嬉しい気もします。
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